
バックナンバー 水質改善の先駆者、ここにあり!!
| サギヌマスイミングクラブ |
神奈川県川崎市宮前区土橋7-22-1 |
「スイミングクラブの歴史を辿りたい」と取り組んでいるこの連載も、既に30クラブを超えた。今回登場するのは、企業としてのチャレンジ精神が旺盛なサギヌマスイミングクラブ(以下、サギヌマSC)だ。社名は株式会社エスアンドエフ。昭和48年にスイミングクラブを開設、現在は2施設を運営する。さらにフランチャイズ事業では「10分千円」のカットハウスを4店舗も手がける。スイミングクラブとしても様々なチャレンジを行い、水質向上への取り組みでは「紫外線殺菌装置」を初めて導入した。循環浄化システム装置もサギヌマSCが先鞭を付けた。その歴史を振り返ると…。
借入金返済に苦しんだ10余年
■設立
サギヌマSCが設立されたのは昭和48年8月。神奈川県では既に日本最初の多摩川SS(川崎市)があり、ヨコハマSC(横浜市)、相模原ドルフィンクラブ(相模原市)、パシフィックSC(茅ヶ崎市)、に次いで5番目の民間施設として小倉知(現会長)・邦夫(現社長)兄弟が興した。
■回顧
小倉邦夫社長は創業時、28歳で専務取締役に。未知の世界に「不安は無かったですね。常に前を向いていました。チラシを配ると“スイミングクラブって何?”“何をやるところ?”と聞かれた時代です。すぐに半年、1年のウェーティング状態になりました。4千人、5千人のクラブがありましたから、無理すれば吸収できたかもしれませんが、あえてしませんでした」
■30年目のリニューアル
開業と同時に入社した皆吉寿郎取締役が当時を振り返る。「プールは現在のところに25m×12・5mの6コースで作られました。プールの上から見られるように観覧席を作ったために、2階の体操場も蒸し暑く、それで30年やってきました。当時は周囲に民家もなく、分譲地はありましたが、プールの周りはほとんど畑でした。近くで狸がよく出ました」。東急電鉄田園都市線の宮前平駅から歩いて10分、しかもスクールバスを持っていなかった。「オープンのときは1600人、人手が足りなくて手一杯でした」という。当時は週2回のレッスンが中心で、週1回コースは土曜日の夜と日曜日にしかなかったから、毎日約500人の子供が夕方になると押し寄せた。平成15年末から4か月をかけてリニューアル。観覧席、体操場の湿気の問題はようやく解決した。
■オイルショック
オープン時はちょうどオイルショックが始まるとき。多くのクラブが燃料費の高騰、車で送り迎えをしていた親たちの懐を直撃し、会員数減少に悩まされた。しかし、「燃料は灯油を使っていましたが、それほど苦しまなかったですね」(小倉社長)。
当時は子供たちに水泳を覚えさせるために親が一生懸命だったこともあるが、駅から“わずか10分”のプールに、遠くからもたくさんの子供が通う。いわば「スイミング通い」がステータスの時代だった。
■金利
資本金1300万円で有限会社を立ち上げ、施設のために銀行借り入れを行った。今でこそ銀行の借入金の金利は5%程度。しかし、当時は違った。「苦労したのは借入金の利息ですよ。当時は金利が10%を超えていましたから。現金の苦労は待ったなしですから、その支払いをどう確保するか。キャパは決まっていますから、何を削って金利の支払いに回すか苦労しましたよ」と小倉社長。返済は10年計画だったが、この高金利で完済には10年余を費やした。
■未知の世界
昭和48年当時は施設を持たないクラブも多く、自前の施設を持つクラブは、おそらく100から120くらいだっただろう。そんな時代にこの業界に飛び込んできた人達の気持ちは? 大学を出た皆吉氏の場合、なぜスイミングクラブだったのか。「実は教職に進もうと考えていたのですが、教育実習で閉鎖的な感じを持ち、民間の就職先を選んだ。自分自身が水泳を覚えたのは川で遊びながら自己流で覚えました。だから、最初はお金を取って水泳を教えることにすごく抵抗がありました。何でこんなことでお金がもらえるのかと…。自分がスイミングクラブで働くということになって、周りは“将来が安定していないんだから止めときな”という人が大半でした。親は“帰ってきなさい”と言っていましたよ。しかし、自分自身、未知の世界であり、期待感でいっぱいでしたね。何もわからない。これからどうなるかも分からない。指導を始めて、子供たちができるようになり、笑顔を見せてくれる。その場で反応がある。これが嬉しくてね〜」
■笑い話
当時の指導は一人のコーチが20人、クラスによっては30人もの子供たちを受け持つ。皆吉氏が初めて担当したクラスでは、こんな子供がいた。呼吸の練習が終わるとお腹が膨らんでいる。親から「コーチ、この子は水を飲んでいるんでしょうか」と質問された。その後の練習を見ていたら、空気を飲み込んでいることが分かったという笑い話がある。
■勤務状況
今は1週間の勤務時間が40時間と制限されているが、当時は週休1日、48時間勤務だった。シフトはあったが残業がなく、しかも他のクラブでは週に30本ものレッスンを担当するのが当たり前だった時代に、皆吉氏は18本程度。それほど過密スケジュールで勤務をしなくてもよい環境を経営サイドが採っていたことは恵まれていた。
■事業
スタートは有限会社サギヌマスイミングクラブ。現在は株式会社エスアンドエフ。サギヌマSCと2号店の「スイムアンドフィットネスサギヌマ」を持つ。東急田園都市線鷺沼駅近くに平成元年の開業。現在2千人の会員を集めるが、現在のフィットネスクラブとは形態を異にしている。「水泳と健康」を目指したプール施設だ。その他、10分千円散髪の「QBハウス」を東京都、神奈川県に4店舗展開している。
手探りの中で築いた四国初の総合施設
■使命感
昭和40年代に生まれたスイミングクラブは、いずれも強い使命感で始まった。スイミングを通して心身共に健全な育成をする。ほとんどがこの共通のフレーズで始まった。サギヌマSCも同様だが、「子供を見ているといやでも使命感が盛り上がってくる。子供の笑顔、これが見たい一心でした。子供たちの笑顔を見ていると癒されました」(小倉社長)
■水質浄化
水質向上のために昭和52年、ドイツから「紫外線殺菌装置」を導入した。昭和60年にはプール水の環境浄化システムに関する特許を取得。オーバーフロー水を受け取り補給するシステム。「今はバランシングタンクをプールの床下に設置し、15トンとか20トンのタンクを作らなければいけない。オーバーフローで溢れた水をそれに一旦納めて、ある程度いっぱいになったらモーターで吸い上げてろ過器に流す。サージタンクの中に水が溜まっている時間がある。水は溜まっていると死んでしまうので、どうしたら水が溜まらずに動くようにしたらよいかを考えて作ったのが環境浄化システムです」(小倉社長)
■選手育成
「心と身体の健康を!」を経営方針に、スタート時から選手育成を目標に取り組んでいる。ジュニア五輪には「コンスタントに10人くらいは出場」、昨年は女子選手でナショナルチームの合宿に参加した選手もいる。ゴールデンタイムの18時から19時30分を選手・育成クラスで使用する。育成コースには100人、選手コースには20人が所属。「全員が選手志向ではないですが、バタフライまで泳げるようになって、選択肢として選手コースがある」(皆吉氏)
■会員数
ピーク時には2400人を集めていたが、現在は子供1700人、大人400人。成人会員は2割。「ウォーターフィットネスというプログラムで対応しています」。午前中の泳ぐクラスで一時は120人を超えていた。それが参加者半減。「まだまだ会員定着対策が不足」と皆吉は反省する。多くのスイミングクラブが悩む中高年取り込みの手法は、ここでもまだ模索中だ。
■プレッシャー
「経営が楽しかった時代というのは余りありませんでした。経営者という立場は、結構プレッシャーがありましたよ。しかし、日々の楽しさはありました」(小倉社長)
■スイミングクラブの将来
「子供は水泳が上手になることを楽しみにしていますが、友達と遊んだり、担当コーチと遊んだりすることも楽しみに来ている。子供の水泳は楽しくなければいけないでしょうね。その反面、楽しさを強調するのは競技水泳を追及するクラブとしてはどうかなという迷いはあります。水泳は安全な競技ですが、覚えるまでは危険が伴う。覚えるとケガのないスポーツですから、クラブとしてはレッスンが終わった後に遊びを必ず入れることを心がけています」(皆吉氏)
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